【バーレスク】の歴史から見える魅力とは? 大衆ストリップから世界のエンターテイメントへ 伝説のショーガールの美(映像も)

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みなさんバーレスクショーをご存じでしょうか?日本ならきっとおとなの夜の遊びとして注目されている六本木の「バーレスク東京」のことを思い浮かべる人が多いかもしれませんね。

「ただのセクシーダンスショーでしょ」なんて思ってたら大間違い!意外と歴史もあって奥深いものだったんです。そこで今回はバーレスクについていろいろ探っていきます。

バーレスクとは?ストリップの歴史をさかのぼる

バーレスクと聞いてピンとくる人は、たぶん2010年公開の米映画「バーレスク」やブロードウェーミュージカル「シカゴ」などが思い浮かぶのではないでしょうか。

バーレスクの歴史は古く16世紀フランスの王室での娯楽が原点と言われています。女性が肌を露出するなどタブーとされたなかで、時代と共に徐々に形を変えていき、やがて趣向を凝らした大衆向けのストリップショーとして確立していきます。

1900年代はじめにアメリカで一大ブームが起こり、現在のようなダンスショースタイルが生まれ、ジプシー・ローズ・リーリリ・セイント・シアなど花形スターが誕生し活躍します。

特にアメリカにおいてバラエティ・ショーの形式による見世物を指すようになった。華やかなショーガールが出演するアメリカ式のバーレスクは1860年代から1940年代にかけて人気を博し、劇場だけでなくキャバレーやクラブでもよく上演された。

後期のアメリカン・バーレスクは猥雑なコメディと女性のストリップを演目とすることが特徴であった。
wikiより

ですが、世間で盛り上がりを見せる一方で、局部露出などの性表現が過激さを増していき、

見かねた政府との軋轢により一時バーレスク(ストリップショー)は衰退します。

その後、1990年ごろからにわかにバーレスクブームが再燃し始めます。
キャバレーやクラブでさまざまなダンサーがオマージュや融合といった独自のスタイルを作り、現在のようなネオ・バーレスクという進化を遂げるのです。

バーレスクとストリップのちがい

よく混同されがちですが、ストリップとバーレスクはショーの要素としては割と近いですが、似て非なるものといった感じ。

バーレスクとは元々キャバレーで踊るショーダンスのことです。お酒を飲む席で、局部など全部は見せないチラリズムのストリップを指します。キャバレー付きのバンドがいて、バンドをバックに音楽に合わせショーをするというスタイル。日本では今ではもうほとんど残っていません。

逆にストリップは、風俗として性を前面に出して表現するスタイル。局部も全部見せてお客さんと遊ぶという感じ。昔のストリップ劇場では女性の局部から矢を放って風船を割るなど、”花電車”という伝統芸があったりおとなの裏社交場の要素が強い。

客席との距離感もストリップは局部を見せるショーの性質上どうしても近い。バーレスクの場合は全部見せない分、ダンサーを含め舞台全体を見せるという感じの違いがあります。

バーレスクダンスとはいったい?

本来、バーレスクダンスとはセクシーさを強調したダンスで観客を挑発し、衣装を焦らしながら脱いでいくソフトストリップショー(完全に見せるわけではありません)で、いわゆる「焦らしのテクニック」で観客を魅了する形がウケていました。

現代では、性を強調するような過激なセクシーダンスだけではなく、時には笑わせたりといった新しいスタイルも確立し、まるでミュージカルショーを観ているかのような作りになっていて男女問わず多くのファンもいるようです。

もちろん昔ながらのスタイルのパフォーマーやそれを好むファンもいて、毎年世界中でイベントやフェスなどが行われバーレスクは永く愛されているのです。

バーレスク伝説のダンサーたち

ジプシー・ローズ・リー(Gypsy Rose Lee)


ストリップにユーモアのセンスを取り入れたり現在のバーレスクの礎を広めたとも言える草分けの存在、ジプシー・ローズ・リー。もっとも人気のあったパフォーマー。晩年ストリップのスタイルだけでなく文才など機知であることでも有名。複雑な家庭に育ちのちにミュージカルや映画化もされました。

リリ・セイント・シア(Lili St. Cyr)


子どもの頃から歌やバレエのレッスンを受けていたこともあり、どちらかというと露出より歌やダンスなど質の高いショーをすることで有名となったリリ・セイント・シア。彼女の功績はストリップやバーレスクの地位を世界的に上げたとも。のちにプロダンサーとなった。「G飛ばし」(“The Flying G”)と呼ばれるショーが有名。

リリー・クリスティン(Lilly Christine)


ロケットのような豊満な胸が特徴のリリー・クリスティンは、「The American Beauty」まさにこれぞアメリカという金髪SEXY美女。エキゾチックなダンスと悩殺ボディで世の男性の心を掴み人気を博しました。愛称は「The Cat Girl」。また「Cover Girls」など数々の雑誌の表紙を飾り、バーレスクダンサーとしてのポジションを確立させていましたが、人気絶頂の41歳という若さでこの世を去っています。

サリー・ランド(Sally Rand)


サリー・ランドは、ダチョウの羽根の扇を使ったファンダンスや大きな風船を用いるバブルダンスを考案した人気のダンサーでした。 両親は軍人と教師という厳格な家庭の出にもかかわらず幼少期からバレエを習っていたこともあり若い頃から舞台に立っていた。その体はしなやかで、早くから才能が認められていた。1933年に「発展の世紀」と題したシカゴ万国博覧会にアメリカン・バーレスクのパフォーマーとして出演したのが最も有名。凝った演出は現代のネオ・バーレスクに通ずる。

現在のバーレスクスター、ディタ・フォン・ティース(Dita von Teese)


ディタ・フォン・ティースはバーレスクを復活させたニュー・バーレスクの代表的なスターのひとりであり、現在「バーレスクの女王」とも称される。

雑誌『PLAYBOY』でたびたび特集が組まれるほど。モデルとしても活躍しミュージシャンのマリリン・マンソンの元妻としても有名。日本でも高い人気を誇っています。 現在はセレブリティとしてロスに居住し、ハイブランドのデザイナーとも仲が良い。本業のバーレスクのショーではクリスチャン・ルブタンスワロフスキーなどハイクラスのスポンサーがゴージャスなショーを一層際立てています。

2007年当時のインタビューで彼女は、パフォーマンスを通じて表現したいものとは? という問いに、「偉大な美を表現したいと思っている。それは、私がきれいだから見て、というものでなくて、美しいコスチュームや裸体や振り付けを通じて伝えたい純粋なファンタジーよ。日常ではありえないイリュージョンなのよ」と語っています。

そんな美意識の高い生粋のアーティストであり、エンタテイナーであるとも言えます。

ディタ・フォン・ティース公式サイトはこちら

まとめ

いかがでしたか?バーレスクを歴史の観点から紐解いて成り立ちを調べてみました。
なんだか無性にショーを観たくなってきませんか♪これぞエンターテインメントでしょう!元々タブーとされていた時代から反骨精神で順応しながら確立してきた立派な芸術だと思います!なんかロック♪
あるバーレスクダンサーはこう言います。「暗い世の中に少しでも風穴を開ける、それがバーレスクダンサーだと思っています。」
まさにバーレスクとは、観る側が自分の想像力で夢の世界へショートトリップ出来る“一瞬”を演者とともに一緒に作り上げる場だと。理屈ではなく瞬間の美なんですね~
まさにパンク!! バーレスクよ永遠であれ♪

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